お知らせinformation

本格的な練習場グリーンの正体は

2025.03.23 | クラブの歴史

アプローチ練習場のグリーンとバンカーは、本コース用のものでした。
クラブハウスが駐車場の北側にあったころに、現在の#9ホールのティ―グランドからのグリーンでした。

だから、本気のバンカーが設けられているのです。
そのサブグリーンとして、アウトコースのパターグリーンが設置されていました。珍しいアプローチ練習場は、あなたの腕を 間違いなく上げるでしょう。。。。

今は無き名物の樹木

2025.03.09 | クラブの歴史

三田ゴルフには、今は無き名物の樹木がありました。
枯れたり、折れたり、台風で倒れたり、残念なことですが。

まずは、#2ホールグリーン手前の小さなこぶのような小山の上に、まるでグリーンをかばうキーパーのように。。。
そして、#7ホールの残り150ヤード付近にある一本松は、当時縦に並ぶ2本末でした。
#8ホールは、ティーグランドから見て大きなネットの左端にその高さまであった、ろうそくの炎のような形の大きな木。
最後に#15ホールのティーグランド前の大きなくぼみの左端に、大きな松がありました。今も切株が残っています。

必ず植え替えるも木もありますが、コースの難易度が上がる木はなぜか、記憶の木になりました。

どうしてゴルフは左だけにグローブするの?

2025.02.23 | クラブの歴史

ゴルフ発祥のスコットランドやヨーロッパでは、寒くて両手袋でした。

1942年にサムスニード、その後、アーノルドパーマー、ジャックニクラウス、ゲーリープレーヤーらが左手片手グローブで優勝。
左手をしっかり握り、右手の力を抜くために左手だけとなったようです。


三田ゴルフで、半世紀前に当時のキャプテンが、とある会の発足記念にグローブを進呈した際、会の方が言いました「おーい、右手がないぞー」って。。。

三田ゴルフは、昔、全ホールがツーグリーンでした

2025.02.16 | クラブの歴史

バブルの前からメンバーの数が増え、そう現在の倍ほどの来場者があり、ワングリーンでは、芝生がもたなかったのです。
前の予備グリーンがどこにあったか探すのもおもしろいかもしれません。

#3ホールについては、右グリーンでパターを終了すると、次ホールに行くのに、続きにあった左グリーンの上を歩き、使っていない左グリーンが傷むため、あとで間に細長いバンカーが作られました。
それが今の、グリーン左のバンカーです。

三田ゴルフには、たくさんのアリソンバンカーがありました

2025.02.09 | クラブの歴史

アリソンバンカーとは、芝を積み上げてアゴを高くし、まるでビッグウェーブのような先端ががぶってくるような形をした、深いバンカーのことです。
イギリス人の設計師である、チャールズ・アリソン設計のゴルフコースによく出てくるバンカーの形なので、彼の名前が由来となっています。
やはり難しすぎるとの声が多く、40年前ごろからアゴをなくしていきました。

最も名残りがあるのは、#4ホールのグリーン手前のバンカーです。
その他にも、#1、#2、#5、#6、#9、#13が面影があります。
#16は、今はないサブグリーン手前に大きなアリソンバンカーがありました。
でも、今の形でも難儀やな。。。

月刊ゴルフレビューに三田ゴルフクラブが紹介されました!

2020.03.28 | ニュース

2020年3月20日発行の「月刊ゴルフレビュー」に三田ゴルフクラブが紹介されました。

 

三田ゴルフクラブ創立からの歩みや、特色ついての記事が記載されています。

 

 

 

 

SANDA GOLF CLUB since 1930

2011.02.23 | クラブの歴史

1930年(昭和5年)に有馬ゴルフとして開場いたしました!
そして戦後、昭和28年に三田ゴルフとして再開いたしまた!!
戦中